「好きなことで生きていきたい」けど「好きなこと」ってなんだろう?
「好きなことで生きていく」というキャッチフレーズで有名なYouTube。
「自分にとって、個性を動画を通じて発信するユーチューバーのような熱量を持てることは何だろう?」
ふとそんな疑問が頭をよぎりました。
シンプルに好きなこと
その問いをぐるぐる考えたときに、出た結論というのが、そもそも考えることが好きという至ってシンプルな答えでした。
学生の頃は、自覚症状があるくらい「考えること」に時間を使っていて、趣味を聞かれて「考えたり、悩んだりすること」と答えるくらいには、とりとめもなくいろんなことを考えていました。
それは、本の結末の解釈だったり、旅先で出会った人の今だったり、どうすればもっとモテるかだったり、とあまり将来の仕事にはつながらないようなことばかり。
先生に怒られているような時さえも「わたしにはこんなに怒っているけれど、好きな人にはどんな風に接しているのだろう?」と、おせっかいにも先生の恋愛事情が気になるような学生でした(反省の色が見えないと、余計に怒られたけど)。
会社以外のこと、考えてたっけ?
考えることに疲れてしまうこともあるくらい、自分の中では、辞めたいけれど、やめられない一種の”クセ”のように思っていました。
けれど、社会人になってからというもの、気がつけば自分ひとりで考える時間がほとんどなくなっていたことに気がつきました。
仕事中は、仕事のことを考えていて、休みの日にもその余韻が続いてしまう。
仕事の余韻が抜けた頃には、日曜日を迎えていて、また明日から始まる1週間を考えている自分がいます。
もともと考えることが好きなので、仕事を楽しく感じて、今まで続けてこられたのかもしれません。
でも、家に帰ってからは、とにかくぐったりしていて、調べても答えが出ないようなことは考えなくなっていました。
無駄に考えないということは、時間がない社会人にとっては効率的だし、悩んだり、落ち込んだりすることも、昔に比べてかなり少なくなったという意味では、いいことにも思えるのだけれど、このまま過ごしたら仕事以外で、考えることができなくなるのではとふと怖くなりました。
「お昼は、パスタでいい?」という上司の言葉や、「おすすめのランチ10選」というメディアの情報。
小さなことに思えるかもしれないけれど、「まあいいか」と受動的に過ごしていると、自分が今食べたいものさえわからなくなってしまう。(と同期が話していて、激しく同意しました)
自分の頭で考えることをやめたくない
今考えなくても別に困らないようなことを考えたくなる気持ちのゆとりが、豊かさだと思っていて、そんな時間を大切にしていきたい。
考えることが好きだから、考えることで生きていきたい。
目の前の仕事だけに思考を使うんじゃなくて、周りの人たちと考える時間をシェアして、自分らしく楽しいと思える時間を過ごしたい。
そんなわけで、今考えてること、考えたいことをまた少しずつ言葉にしていければと思います。
PS. お酒も好きです。
バーで働きたいなあ。。(好きなことで生きていく) pic.twitter.com/JwMpAVzHG8
— あい (@aitabata22) 2018年5月20日
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