9割の人間を嫌いだったわたしが今友達に囲まれている理由
こんにちは!あい(前列右から3番目)です。
大勢のブロガー達とわいわい話したブロガーパーティー(「カプセルホテルに行くなら、ホステルへ!ON THE MARKS川崎が超おすすめ」)楽しかったなあ♡
さて、今日は最近のわたしとは全く違う、人見知りで友達の少なかった頃のお話をしたいと思います。
目次
9割の人間が嫌いだった
「9割の人間が嫌いだった」というのは大げさに言うつもりはなくて、中学生の時のわたしの実際の発言なんです。
(友達)の素直な気持ちが聞けて嬉しかったよ。
ウチは9割の人間は嫌いだけど、(友達)のことは誰よりも好きです。
今でも仲の良い中学時代からの友達が久しぶりにアルバムを整理していたら、手紙が出てきたと言って、写真を送ってきてくれたんですけど、この一文には自分でもビビりました。(そして、いろいろ恥ずかしい)
確かに小中高と団体行動が苦手過ぎて、クラス行事には参加しないし、部活はすぐ辞めちゃうしで本当に友達が少なかったんです。
小中高計12年間も通っていたのに、自信を持って友達と呼べるのは2~3人くらい。
今でも学生時代の話をする時は、「◯◯ちゃんって覚えてる?」と記憶の確認をされるレベル。
女子のグループでいじめが起こる度に、広く浅い友達って超意味ないなと思って、自分の狭く深い関係に満足していたら、まじで友達ができませんでした(笑)。
周りが理解してくれないのは、伝える努力をしていないから
9割の人が嫌いだった理由は簡単で、どうせ大人もクラスメイトも自分のことを理解してくれないと思っていたから。
先生が考えているのは、わたしの将来ではなく、学校としての進学率だし、クラスメイトが考えているのは、本当の友情ではなく、いじめられないための交友関係だと感じていました。
なぜそこまで悲観的に捉えていたかというと、やっぱりいじめが起こったときに、リーダー格の人の意見に右に倣えする人があまりに多かったからだと思います。
なので気がつけば、たとえ意見があっても他人は理解してくれないことを前提に、ほとんど自分の意見を言わない体質に。
そんなわたしですが、大学に入ったあとは、少しずつ社交性を身につけ、交友関係も以前と比べればかなり広がりました。
わたしが「伝える」人になった3つのきっかけ
1. 日本語が通じないコミュニケーション
最初のきっかけは高校2年生の時に行ったドイツへの短期留学です。
ドイツ語も英語もほとんど話せない状態で行ったので、ちょっとした意志の疎通にも一苦労。
曖昧に肯定すると、却って相手に迷惑をかけてしまうこともあるので、YES/NOをしっかり言うようになりました。
また、ドイツの高校生が授業中に活発に発言している様子を目の当たりにして、自分の意見を持って伝えることができる人になりたいと思うようになりました。
2. 彼氏の前で号泣
こちらからわざわざ言わなくても察してほしいという思いが強く、付き合いたてのころは「~してほしい」「~しないでほしい」ということを全く言えませんでした。
そして感情もそれほど表に出さないタイプなのですが、1度(今思うとくだらないことで)号泣したことがあって、その時に彼に初めてちゃんと気持ちが伝わったことは大きな価値観の変化に繋がりました。
それまでは、「意見も感情も出さないから、なにを考えているのかがわからなかったけど、泣くほど悲しくて真剣に考えてるってことが伝わった。泣くのはいいことだよ。」と言ってくれたのです。
伝える前に、人の感情を先読みするクセのあるわたしは、「泣いたら、めんどくさい女って思われるだろうな」と思って自己嫌悪に陥りかけていたのですが、勝手に自己完結させず、気持ちはオープンに伝えることが大切だと思うようになりました。
3. 恥ずかしさを捨てた発信
最後の決定的なきっかけは、ウェブでの発信。
大学3年生の時に、海外インターンをきっかけにメディアを立ち上げ、編集長として小さなウェブマガジンで記事を書き始めました。
顔の見えない相手に伝えるという行為は孤独な行為ですが、続ける内に読者の方から相談をいただいたり、ライターを志望する連絡が届くようになりました。
「意識高い系って思われるだろうな」というわたしの考えは、またしても思い込みに過ぎなかったのです。
冷めた目で見ていた人もいたのかもしれませんが、実際にわたしの耳には届かなかったし、ポジティブな反応をくれる人の方が圧倒的に多かったです。
この経験で、どんなに恥ずかしいことでも「伝える」という行為は、失うよりも得るものの方が大きいのだと気がつきました。
このブログでも恥ずかしいことをいっぱい書いています。
人は簡単には変わらない
わたしは大きなきっかけが3つもあって、ようやく変わることができました。
それくらい人の性格は変わりにくいもの。
けれど、変われないわけではないことも確かです。
きっかけがなになるかはわかりません。
わたしも別に「友達増やすぞー!!」と思ってやったことは1回もないからです。
「仕事は楽しいかね?」という本の言葉に、「やるかやらないかの選択肢で、やらないことを薦める本は1冊もない」とあるように、とにかく行動し続けることが大事。
1度「とりあえずやってみる」体質になると、きっかけをどんどん得ることができるようなるので、今では1~3ヶ月もあれば、目指す方向に自分をガラっと変える自信があります。
社会と自分を肯定出来る状態を目指す
いわゆる「真っ当」な生き方から逃げて楽になった。もっと自由に、伸び伸びと。京大卒・日本一有名な“ニート”が提唱するこれからの生き方。
本によると、社会と自分を、肯定と否定の2つの状態で分類すると、4つ精神状態に分類出来るそう。
(1)仕事も自分もいい感じ(社会肯定・自分肯定)
(2)やらなきゃいけない仕事はあるけど、つらい(社会肯定・自分否定)
(3)自分はもうだめだ、仕事も何もかもどうでもいい(社会否定・自分否定)
(4)ひたすら自分の好きなことをしているだけで楽しい(社会否定・自分肯定)
言うまでもありませんが、この4分類で理想の状態は(1)の社会肯定と自分肯定ができている状態。
わたしの場合はこんな感じで、小学校から大学前半までを(2)~(4)の状態で過ごしました。
(2)勉強をしなきゃいけないけど、つらい(社会肯定・自分否定)
(3)団体行動ムリ。学校とか超どうでもいい(社会否定・自分否定)
(4)英語を話すの楽しい。彼氏とデートするの楽しい。文章を書くの楽しい(社会否定・自分肯定)
そして大学後半から今にかけて、ようやく(1)の状態に。
(1)仕事面白い。ブログ楽しい。いろんな人と自由に遊ぶの楽しい!!!!(社会肯定・自分肯定)
紆余曲折経て、ようやく社会肯定・自分肯定のできる状態になったのです。
9割の人間を嫌いだったわたしが今友達に囲まれている理由
△ブログ繋がりでりゅうせい@ホームレスカメラマン (@re_seven_) に撮っていただいた新しいアイコン写真!
犯罪さえ起こさなければ、9割の人が嫌いでも問題はないと思います。
でも、それだけ楽しさは限られたものになります。
つまらない仕事をきらいな人とやるのは最悪だけど、つまらない仕事でも好きな人とやれば楽しくもなるからです。
自分が伝えた結果、理解されないことももちろんあります。
でも、伝えもせずに理解してくれないと思うのはもったいないです。
伝える相手が増えれば増えるほど、自分を理解してくれる人が増える可能性は上がります。
だから、ブログを書くことはおすすめです。
友達の数は競うものではないし、自慢すべきものでもありません。
けれど今、「飲みたい!」と言ったら当日の誘いでも会ってくれる友達がいて、「わかんない!」と言ったら直接教えてくれるまた別の友達がいる。
これは、昔のわたしには考えられない状況です。
9割の人間を嫌いだったわたしが今友達に囲まれている理由は、「伝える」ことをするようになったから。
このシンプルな理由に尽きると思います。
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