Facebookの「共通の友達」がゼロな人との出会いが面白い

社会人になり、新しい出会いがたくさんある中で、こんなことを思いました。
誰も知り合いを介さない出会いって、ワクワクする!!と。
Facebookの「共通の友達」が、ゼロな人
誰も知り合いを介さない出会いが、ワクワクすると思ったきっかけは、先日、友人の紹介で知り合った方とFacebookを交換したところ、「共通の友達」が0人だったんです。
Facebookで新しく友だちになると、だいたい共通の友達をチェックするのですが、友達の数が500人を超えたくらいから、新しく知り合った方でもほとんどの場合、共通の知人がいるものなんですよね。
だから、社会人になって新しい出会いが増えたとはいえ、そこには会社の人だったり、大学の友人だったり、インターンでお世話になった方だったり、なんらかの知人は介しているつながりということが多い気がします。
友達申請を承認するか、しないかの判断も、共通の友達の数がひとつの判断基準になっていたりもしませんか?
たしかに、会って間もない人でも共通の知人がいると、安心感があったり、「あ!この人と知り合いなんだ!」という会話から、距離が縮まることもあります。
けれど、誰も介さない最初の1人との出会いっていいなとも強く思います。
六次の隔たりで、つながれる世界
解説・あらすじ – 私に近い6人の他人 – 作品 – Yahoo!映画
好きな映画のひとつに「わたしに近い六人の他人」という映画があります。
高級マンションに住み、毎夜パーティで噂話に興じる美術商のキトリッジ夫妻は、突然、怪我をして転がり込んできた黒人青年ポールを、自分たちの子供の同級生だと信じ込んで部屋に上げた。洗練された言葉を操り、名優シドニー・ポワチエの息子だと名乗るポール。しかし、それは真っ赤なウソだった……。サスペンスタッチの異色人間ドラマ。
ハイクラスの夫婦の元に突如転がり込んできた、息子の友人を名乗る黒人青年ポール。しかし、息子の友人というのは真っ赤な嘘。
全くの他人であるのひとりの青年の登場によって、近い関係であるはずの夫婦や家族の関係の揺らぎが明らかになるというストーリーです。
この映画の洋題でもある、「Six Degrees of Separation(六次の隔たり)」という言葉は、全ての人とは、6ステップ以内でつながっているという仮説を意味しています。
六次の隔たりとは、全ての人や物事は6ステップ以内で繋がっていて、友達の友達…を介して世界中の人々と間接的な知り合いになることができる、という仮説。
映画では、夫婦と他人である青年とのつながりを探す中で、この六次の隔たりの話がでてきます。
2011年には、Facebookとミラノ大学による共同調査の結果、世界中のFacebookユーザーのうち任意の2人を隔てる人の数は平均4.74人であることが発表された。
六次の隔たり – Wikipedia
という調査結果もあるように、今や6人の他人を介さずとも、特定のひとりとつながれる世の中です。
SNSだと、軽く挨拶をするような感覚で、ネット上のやり取りだけでも、つながってしまったりしますもんね。
このデータは2011年のものなので、今なら何人で他人とつながれるんだろう・・・。
他人を介さない、最初のひとりとの出会いを大切にしたい
冒頭に書いた、最近知り合った方と、共通の知人がいなかったという話も、実際にはわたしの友人をリアルで介してしまっているので、「六次の隔たり」の最初の1人というわけではありません。
でも・・・
例えば、旅先で迷って助けてもらった、住んでいるところも、話す言葉も違う人と仲良くなる。
例えば、ヒッチハイクをして、車に乗せていただいた、仕事も年齢も学歴も違う人と仲良くなる。
そんな風に、誰も他人を介さないつながりもあるはずです。
本当の意味で新しいと感じる出会いが少ない状況の中で、ふたりの間につながりが出来る前の、最初の出会いを大切にしていきたいなと思う今日この頃です。
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